一個前のXeとNeのお話
瀬野がヘリウムを失ったのは、今から八年前のことだった。
同僚で間違いなかった。この稀気市にほぼ同時期にやってきて、共に同じ部屋に住み、生活費をうかせながら暮らしていた。
ヘリウムだった木陰が死んだのは、キセノンである瀬野が二七歳の時だ。
プロメチウムに長くつきあっていた彼女……瀬野もよく知っている、茉莉奈が奪われてからおかしくなった木陰が、部屋の中で死んでいた。
瀬野は涙が枯れるほど泣いた。
その時そばにいたのは、九歳年下のネオンである尾根だ。
あの時尾根がいなかったら、瀬野はとうに死んでいただろう。
木陰は、彼女との結婚を考えていた矢先に、プロメチウムに取られ、二つの指輪を左手薬指につけたまま死んでいたんだそうだ。
十年近い時間を共にした木陰を失った瀬野をなんとか立ち直させるために、尾根はずっと瀬野のそばにいた。
心の傷が癒えたと思えた。全てが八年も前のことになった頃のお話。
世間は不景気で、瀬野は尾根の家に引っ越してきて七年経っていた。
木陰が死んでからは木陰の死んでいた部屋の中に引きこもっていた瀬野だったが、その年の年末に、瀬野に一緒に住まないかといったのは尾根の方だ。
瀬野は尾根による美味しいご飯と献身的な世話によってなんとか立ち直った。
ただ、その分尾根に若干依存している様子ではあった。
尾根もそれには気づいていた。ただ、それを受け入れたのは、誰とも反応しないネオンゆえに、自分は大丈夫だという慢心もあっただろう。
尾根が瀬野と一緒に仕事に出る。
こんな世界だが、元素も仕事をしないと生きていけない。
尾根は瀬野が心配で、仕事を辞めて瀬野の職場に転職した。
九も年下の尾根だが、よっぽどしっかりしている。瀬野はどこかで海に消えてしまいそうな雰囲気だった。
まあ、尾根が瀬野に付き合っているように、木陰も十は年下の茉莉奈と付き合っていたんだから、その辺の年齢差は瀬野は許容範囲内だった。
尾根と瀬野は別に恋愛的に付き合っているわけではない。
ただ、何も知らない人から見ると、付き合っているように見えるだろうという雰囲気ではあった。
瀬野は尾根に尽くされて境界線が溶けていた。
尾根には一切その気はなかっただろう。けれど、瀬野は尾根の優しさに完全に絆されていた。
仕事に向かう通勤道で瀬野の手が尾根に触れる。
まだ人と常に一緒にいないと不安なのだろう。その時は、尾根が瀬野の手を繋いであげていた。
「大丈夫ですよ」
尾根はそう言って瀬野の手を繋ぐ。それで安心するのか、瀬野は深く息を吐いた。
「ありがとう」
瀬野は、もうすぐ人としての死がくる。
その自覚はあった。もう三十歳も超えていた。いつ死んでもおかしくない状況だ。
その不安が、瀬野を蝕んでいた。
「ねえ、尾根君」
「なんですか?瀬野さん」
ついに、覚悟を決めて瀬野が尾根に話かける。
「一緒に、死なない?」
瀬野の目が死んでいた。
「瀬野さん……じゃあ、その前に一回やりたいことだけやっていいですか?」
尾根は覚悟を決めた目で言う。
尾根が瀬野を連れて向かっていったのは、アクセサリーショップだ。
そこで、シンプルな指輪を二つ買う。
「木陰さんが、したように」
尾根は瀬野の左手薬指に指輪をつけさせる。
そして、瀬野にもう一つの指輪を渡した。
「僕に」
そう言って、瀬野は震える手で尾根の左手薬指に指輪をつける。
「どうせ、死んだら残りませんが」
そう言って、部屋にもどる。
ベッドの上でシーツを被る二人。
それは、結婚式のベールのようだった。
「死んでも、また会えますように」
尾根は、そのまま瀬野にキスをする。
ネオンを瀬野の肺に流し込む。
瀬野も、それを感じてキセノンを尾根に注ぐ。
そして、二人は意識を失っていった……
発見した飯矢は、すでに死んでしまった瀬野と、まだかろうじて心臓が動いている尾根を稀気元素研究所に連れて行った。
しかし、尾根が目覚めることなく死んでいった。
次は同い年で……対等な関係になろう。
そんな意思で、死んだ二人を、味炉は埋葬した。
十年後、二人はまたこの街で出会えることとなったのだという……